公益財団法人 奈良屋記念杉本家保存会

仏間

黒漆真塗の框(かまち)を3段に重ねて設(しつら)えた仏壇は、真宗寺院で御影堂・阿弥陀堂の伽羅を当面して配置するのと同様に、東向きに据える。また、地下には災害用の穴蔵を備える得意な部屋。

杉本家の仏間。奥に仏壇、右に仏庭が見える

地下にある石室
元治の大火の反省に立ってのことだろう

災害用の穴蔵も備えた、門徒の仏間

初代より、順照寺を旦那寺として浄土真宗の門徒として厚く帰依し、三代新左衛門秀明より七代新左衛門為一まで、直門徒となり本山勘定役を務めた。
仏間は4畳半を外陣として、その西へ襖境に1畳半の内陣を設け、さらにその西にちょうど3畳分の広さになる板敷きの内々陣を付している。黒漆真塗の框(かまち)を3段に重ねて設(しつら)えた仏壇は、真宗寺院で御影堂・阿弥陀堂の伽藍を東面して配置するのと同様に、東向きに据える。内々陣の仏壇裏には広く明いたままで、脇壁には2枚の明り障子を引き違いに立て込んだ高窓を開け、採光している。
内陣と内々陣境の上部には、軒唐破風にも似た、茨付き曲線の真塗の縁どりをした小壁(天井から2.02尺)を垂れ、「法性閣」の扁額を掲げている。内陣と外陣の境は、千家桐紋を雲母で型押しした、いわゆる唐紙貼りの襖4枚建てにし、その上の欄間には、牡丹唐草の彫物欄間を仕込んでいる。裏に 順照寺本堂 慶長一四年 九月三日 寄進 林大学頭 と墨書されている。慶長14年(1609)順照寺本堂が造営されたとき、順照寺の門徒であった林羅山から寄進されたものである。明治3年、当家再興の折に順照寺から当家に贈られたものと伝える。 また、仏壇、欄間を、万一の災害から保全するため、内陣の畳を上げて入るユカ下に、幅1間の奥行2間、天井高6.96尺の、切石を積み上げて築いた石室がある。これは現存町家に遺る唯一の例である。

仏庭

信仰の心の鏡としてある庭

この庭は、広さからすれば坪庭ともいえるが、一般的にいう京町家の坪庭とはまったく異なった意味を有している。
西本願寺直門徒であり勘定役を勤めたこの家の本山との密接な関係は、仏間に掲げる20世広如上人御親筆の額「法性閣(ほっしょうかく)」に顕著であるが、この独立した間取りとしてある仏間に付随しているのがこの庭である。庭一面に敷き詰められた黒い滑石(なめりいし)は、西本願寺北能舞台の白洲にあるのと同種の石で、草木を一切配さない特有の作りである。この庭も座敷庭と同じく子供には立ち入りは禁じられていた。
水を静かにたたえた銅の水盤を据えたこの庭は、親鸞の教えに基づいたくらしのよりどころとして今日も尚、信仰の心の鏡としてある特別な庭である。月数度巡ってくる先祖の命日には銅の水盤の水を取り替え、滑石に水を打ち、順照寺住職を迎えるのである。

先祖の命日にはどうの水盤の水と取替え、 滑石に水を打つ

公益財団法人 奈良屋記念杉本家保存会 > 重要文化財 杉本家住宅について > 部屋のご紹介 > 仏間